吉崎
以前に書いていたコラムでも第一回は「吉崎」を題材にしました。
多分このレポートを読んでくれる人はそのコラムを知らないと思うので
今回もまずは吉崎についてお伝えして行こうと思います。
吉崎とは主に渋谷区、大田区に生息する生き物で
1977年に関東で誕生したと考えられています。
幼い頃は割と裕福な環境で育てられていたようですが
成人頃からは若干苦労をした形跡が見られています。
非常に不器用な性質で何をしても他の人より進歩が遅い傾向にありました。
美術だけは割と得意で課題は常に参考作品として献上させられていましたが、
ある事件をきっかけに美術の小田島先生を蹴飛ばした頃以降
何故か成績表で5段階の2(もう少しがんばりましょう)、
もしくは1(良くないです)
以外つかなくなった為とても悲しんだのではないかと考えられています。
吉崎は幾つかの花屋で働き「稲葉武徳」氏と出会い師事。
花仕事の理を学び、フリーランスとして独立するが思う様に仕事がとれず、
昼間は派遣の花屋、夜は居酒屋とデニーズの厨房を週7で1年半程過ごす
と言う偉業を成し遂げています。
デニーズの厨房では何か月経ってもメニューの工程を覚えない30才の吉崎に対して
苛立ちを覚えた同僚の大学生アルバイター達全員に無視をされていたようですが
それでも毎日笑顔で出勤する為、業を煮やしたバイトリーダーに襟首を掴まれ
凄まれた事を今でも根に持っているようです。
当時、デニーズバイトはクリスマスケーキを1人3つ程、反強制で買い取り
家族や友人に転売しなさいと言う個人事業のススメがあった事は皆さんご存じだと思います。
吉崎も休憩室へ呼び出され店長から耳よりな個人事業の要請をいただきましたが、
僕はそういうの大丈夫です。と丁寧にお断わりした時の空気感を今でも鮮明に
覚えていると考えられています。
店長は、全員やっている事だから、と吉崎に強く個人事業を進めてくれたのですが
吉崎が、流行りはあまり好きでは無いので僕は大丈夫です。
とお伝えした時の空気感は今まで感じた事がない位に研ぎすまされていた
と語っています。
その攻防の流れで店長は、ならば12月31日と1月1日,2日は出勤しろ、と
お誘いをしてくださいましたが、吉崎は1年間休みなくプロのアルバイター
としてトリプルワークをこなしていた為、その3日間だけは絶対に休みます。
とお断わりをさせて頂いた結果。その3日間だけで無くその日以降
吉崎のシフト表は空白のままだった事が悔やまれています。
大変今更ですが数あるメニューのなかで「スパゲティ―ミートソース」を
温め、皿に移し、上にパセリをふりかける事しか覚えていない吉崎を年末年始の
人手が薄い厨房に招きいれて何がしたかったのだろうと、このreportを書いていて
怒りが沸いてきました。
余談ですが1月3日にシフト希望を出しに行った際、以降のシフトが空白だったのを
見た吉崎は、クビになったかな?と直感したのですがそれ以降も2週間程シフト希望を
店長に手渡しで提出し続け、3週間目であきらめた事実があります。
その他の2つのバイトでも色々とエピソードはあるのでまたいつか
報告したいと思います。
お花の画像はデニーズをリスペクトして黄色を選んでみました。
そろそろ肌寒い気候になってまいりましたのでお身体ご自愛ください。
